日記

アセクシャルが治る創作描写について思う事

2021年4月18日

アセクシャル治る様な創作描写が最近Twitterで話題になっており、私も興味本位で見てみたのですが、色々と思う節があったので、ここに綴っていこうと思います。

何だか何ともげんなりな内容でした(苦笑

ただ大前提として、この創作に関しての感想は私個人の感想になるので、そうじゃねーだろ!とか思う節もあるかもですが、大目に見てやってください←

因みに過去にセクシャリティは病気ではない件についての記事もあるので是非!
ノンセクシャルは病気じゃない!悲しい記事を見て思った事。

Contents

アセクシャルが治る創作の概要


そもそもその作品を知ったのは、Twitterでフォロワーさんたちが、その作品の感想について意見していたのを発見したのが発端で、余りにも批判的な意見が多かったので、少し気になって見てみたのです。
(※今は鍵がつけられていて見えないようです)

内容を簡易的に説明すると、
マジョリティ的な恋愛観を持つ女性と、
アセクシャルという設定の男性の男女の話で、
女性が一方的に男性に好意を持っているが、
相手がアセクシャルの為、恋愛脳になる薬を開発し、その相手に飲ませようとし、結局飲ますことをやめたものの、女性が眠っている間に男性が薬を飲んで、恋愛脳になる、という内容でした。
超ざっくりですみません。

まぁ色んな観点から色んな意見が出そうな内容で、
自分もアセクシャル(ノンセクシャル)を
少なからずも自認している身としては、
色々と思う事はありましたね(笑)

アセクシャルが治る創作について思う事


一番はアセクシャル(非性愛者)の描写です。
恐らく作者自身の思うアセクシャルの人物像と、当事者とのギャップはかなり大きく、個人的に感じたのは下記5点です。

  • アセクシャルが恋愛に興味がない訳ではない点
  • 薬を使って治るものではない点
  • そもそも薬で治る治らないの問題ではない点
  • アセクシャルの皆が治したいと思っている訳でもない点
  • 恋愛や性的欲求がなくとも幸せは感じられる点

まぁこれ以外にも色々とあると思いますが、
マジョリティ観点で描かれた創作なのかなと、だからこうもギャップというか、そうじゃないんだよなぁ…と思う事が多かったのかもしれませんね。

前提として創作は自由という事

そもそも最近ではLGBTやマイノリティ題材にした作品も目に止まることが多くなってきて、SNSでは漫画での描写も多く目にします。
そのこと自体は、マイノリティを、沢山の人に知って貰えるという点からすると、個人的には嬉しい事だなと思います。

また、大前提として、創作表現自体も個人の自由で、私もブログ内で好き勝手なことをいつも書いているので、
作品自体には罪は無いのかなと、今回の作品を読んでもそう思いました。

だから私としては全否定するつもりもないし、反吐が出る、程には思わず、正直に言うとそこまで強い感情は湧き起らず、寝たら忘れた、くらいの温度感でした。
という事も前提に読んでもらえると助かります(笑)

アセクシャルに薬を使った描写について

とは言いつつも、個人的に一番気になった部分が
「薬」を使ってアセクシャルの男性を恋愛脳に変えよう!
という描写ですね。

何だろう、めっちゃ単純な話をすると、それを本当にアセクシャルの人が求めている、恋愛をしてみたい、興味があるっていうのなら利害一致してるのかなとも思いますが
※薬って点がどうも引っ掛かるが

そうとも相手が思ってないところで薬を盛るところが、OUTゾーンでもあるし、薬でなんとかなるもの、としてアセクシャルが描かれていて、何も知らない人からすると「あ、アセクシャルって薬で治るもものなんだ。」という誤解を招かれるのも酷い話ですし。

悩んでないのに薬で解決させられてめでたしと思われるのも、ちょっと待て待てぃって感じですし(笑)

アセクシャル当事者から見て思う事

別にこの恋愛脳になりたい、恋愛したい、
性的欲求を他人に感じてみたい、
という想いも、
アセクシャル・ノンセクシャルの人の中にも、
多少なりとも興味を持っている人はいるかもしれません。

ただ、その反対に誰もが恋愛がしたいと思っている訳ではないし、恋愛がそもそも必要と思ってない人だっています。私自身を含め。

そもそも恋愛をしなくとも幸せだし、恋愛以外でのコネクトもあります。それを知ってほしいですね。

この作品を通して、マジョリティの考え方が凄く浮き彫りになったような気がします。
というか、当事者からすれば、
別にこんな薬がなくとも、
恋愛的な人との繋がりがなくとも、
それ以外でも大切な関係性は作れるし、
幸せも感じられるんだ
というのが大きいですね。

アセクシャルを知ってもらう為に

アセクシャル、
ノンセクシャルが苦しいもの、
病気、治療で治るもの
として映ってしまうのも嫌だし、
それで皆が苦しんでると感じられるのも鬱陶しいなと思います。

ただただ、別にアセクシャルなことを自認して、
それでも幸せに生きてまっせーって、
何も苦しくないでっせーって、
セクシュアルマイノリティでもそういうプラスの描かれ方、
日常の暮らしなどにフォーカスして、
個々の幸せについて綴られた作品が
生まれるといいなと。私は思いました。

私にも画力があれば、、、何か残せれば、、、というのは余談です(笑)

1つ悲しいのは、世間一般的なマジョリティな考えの人からすると、この作品を見ても、めでたしめでたしという風な捉え方になるんだろうなと思うと、感じ方は人の自由でありながらも何ともやるせない気持ちになりますね。

アセクシャルが治る創作を見てのまとめ


アセクシャル、ノンセクシャルの非性愛者の中でも、
性的欲求が他人に向かない事が共通点である以外で、
恋愛感情が他人に湧く、湧かない、
恋愛対象は男性、女性、どちらでもない等、
人によって様々で、一概にこうとは言えない
と思っています。

だからこそ、今回の作品を通して捉え方も
人それぞれだと思うし、どれが正しい、間違い
というのも無いと私は思っています。

その上で、ある程度セクシュアルマイノリティの当事者として、似たような人達との交流も深めてきて、色んな人がいると分かった上で、私も個人的な見解を述べましたが、まぁ今回の件はあまりプラスには捉えられませんでした。

ただ、アセクシャル・ノンセクシャルと、
マイノリティ中のマイノリティな世界について、
今後もっと認知が広まれば、
そこに対し正しい、間違いなどは無く、
こういう人たちもいて、
皆が皆それぞれの幸せを見つける為、生きてる
という事を知って貰えるだけでも、
少しは生きやすい世の中になるんじゃないか、
とそう思います。

誰が誰(何)に興味を持っていて、
そこにどういう感情があっても、
他人が介入する余地は無いし、
その人にとっての幸せはその人しかわからんから
誰かが決めつけたり強要するものではない。
というのが私の中の極論です。


超ドライっちゃドライかもなんですが、
私はそういう意味ではあまり他人に興味が湧かないので、
もっと周囲も良い意味で周りに関心がなくなれば、

もうあんたが幸せならそれでいいじゃん!
ってなればいいのにな~と思いました。

周りや他人にいちいち興味持ち過ぎると
疲れるくないですか?(笑)私はそう思います(笑)

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