以前、自分がノンセクという事を
友人にカミングアウトをした記事を書きましたが
他にもカミングアウトした際の声を調べてみました。
自分はまだ限られた友人以外の
誰かに打ち明ける等は考えていません。
ただ、将来、パートナー的な人を見つけて
一緒に歩んでいくことになったりした場合
打ち明けないといけない場面が
来るのかもしれないです。
理解ある友人に打ち明けるのとは
180度ワケが違ってきます。
勇気もいるし、計り知れない怖さもある。。
自分のほかにカミングアウトしたorする前の
当事者の声というものを調べてみたので
見ていきたいと思います。
Contents
カミングアウトの事例まとめ
学校教員だが、同性愛者だと
職場でカミングアウトするのに抵抗がある。
同僚や上司よりも保護者に
認めてもらえないのではと不安
職場でのカミングアウトは
自分は全く考えの中には無いです。
信頼する人もいないし、勇気もない…。
ただ業種によっては保護者などの
第三者のことまで考えないとなんて
より一層怖さが募りますね…
親へのカミングアウトで全否定をされて
気持ちが不安定になり、
人が怖くなった時期があった
一番否定されると辛い相手ですね…
自分も両親へのカミングアウトは
一番怖い瞬間かもしれないです。
自分を偽った生活を続けていると
生活のリアリティが希薄になり、
自分の人生は、取るに足らないもの
との感覚が育っていった。
このことが精神疾患を患う
要因の一つとなった
確かに、思いつめすぎると
自分はおかしい、異常だと
マイナスの方向へ行ってしまう事もあります。
こんな人たちに向けて、おかしくないと
思って貰えると良いなって思います。
保守的な地域で
LGBTのコミュニティは
色眼鏡で見られていて、
「触れてはいけないもの」扱い
をされていると思うと、
差別と戦うことすら
できない自分が切ない
触れてはいけない
そう思われると雰囲気で伝わります。
別に変なことじゃないのに
変な目で見られる。
でもこの方のように差別と戦おう
という気持ちがあるのは強いですよね。
本当に生き辛いし面倒だし
私もできる限りの発信を行い、
そんな世の中を少しでも変えてやりたいです。
テレビなどを見て
家族がゲイやレズビアンを
否定している姿を見るのがつらい。
家族にはカミングアウトできない
個人間の偏見がすごい顕著に表れてて
同じ当事者が身近にいるかもしれないとか
そういう考えに至らないんでしょうね。。
意外と身近にいるんだって事
マイノリティでも変じゃないって事
強く発信していかないとですね。
カミングアウトすることのストレス、
しないことのストレスがある。
パートナーと生きていくことが
社会的に承認されるとは思えず、
これからも差別を
受けていくであろうことへの絶望感がある
今の日本の風潮が変わらない限り
ずっとこの絶望は付き纏う気がします。
ただ諦めながら活動するのか
自分たちが発信する側になるのか
それでまた見え方も変わってくると思います
LGBTであることをカミングアウトした
同性の友人の大半が自分のもとを離れていく。
同性愛者や両性愛者であっても
同性すべてが恋愛・性的対象というわけではない。
異性愛者と同じように好みやタイプがあり
無差別に性的関係を
結んだりするわけではないことを
広く理解して欲しい
ほんとにこの言葉の通りだと思います。
LGBTだとしても必ずしも
同性であれば誰でも好きとか
そういう事ではない。
恋愛対象が同性という事なだけで
それ以外は一緒なんです。
ほんとに自意識過剰なのかわかんないけど
「そういう目で見ないで」
的な感じ出してくる人
もうええて。って感じですよね。
まとめ
と。。。色々と見て参りました。
かなりマイナスな否定的な意見が飛び交っています。
やはり言う相手やタイミング、環境によっては
自分がカミングアウトした結果とは全く違って
少しショッキングな気持ちになりましたし
悔しさも感じました。
まだまだ世間的に理解も乏しいし
そもそも個人によっての偏見がすごい
その偏見は簡単には払拭できない。
本当に生き辛さをこれでもかと
知ら閉められるほど、リアルな声ですね。。
今後はこういった
セクシュアルマイノリティの人たちへの理解
というか知識をより多くの人達が持って
変なことではない。これも当たり前の一種
そして何より個人の自由なんだってことが
広まって言って
マイノリティがマジョリティになれ
までとは言いませんが
当たり前として受け入れられる
そんな世の中になってほしいと
より一層強く思いましたね。